平安神宮と内国勧業博覧会

平安神宮と内国勧業博覧会

大学のレポートやら何やらを書くために調べたことのまとめと備忘録。

「内国勧業博覧会」って何?

「国立国会図書館 博覧会 近代技術の展示場」より掲載http://www.ndl.go.jp/exposition/s1/naikoku4.html
 18世紀後半に所謂「産業革命」が起きて以降、19世紀に入ると工業化した国々で万国博覧会が開催される様になりました。
基本的に当時の万国博覧会は、国際的な「見本市」という性格が強かったため、当時の明治政府は「産業の奨励」「国民の啓蒙政策」の一環として万国博覧会へ出品することをメインに据えながら、自国のアピールを兼ねた内国(日本)での「勧業博覧会」の開催に注力していきました。

 そうして、開かれたのが「内国勧業博覧会」であり、第一回の開催地は東京上野公園での開催でした。
ちなみに全部でおよそ5回開催されています。(それぞれ、第一回〜第三回までは東京上野公園、第四回は京都岡崎、第五回は大阪天王寺)

「京都」と「内国勧業博覧会」

 明治初期、東京(江戸)への遷都などの様々な要因によって京都が急速に衰退・荒廃を見せていく中、京都の行政は近代化などの様々な復興策を打ち出していきます。その中の一つとして明治25年に企画されたのが「平安遷都1100年祭」という、イベントでした。その企画の中で京都活性化の起爆剤にしていきたいと、招致活動を続けていきます。
 その結果、第四回内国勧業博覧会の開催地として京都・左京区にある「岡崎」という土地が選ばれることになります。

「平安神宮」の建設

「京都は古い社寺が多いし多分此処も歴史の古い所なのだろう」

と観光に訪れたりして漠然と思われてはいないでしょうか?

確かにそれは基本的には間違ってはいないのですが、何事にも例外というものは付き物です。

 実は平安神宮は先ほどて来た、「平安遷都1100年祭」というイベントひいては第四回内国勧業博覧会のために建設されたと言っても過言ではありません。平安神宮が建てられたのは、明治28年(1895年)と実は京都の中の寺社では非常にごく最近建てられたものになるのです。(2019年当時で創建からおよそ単純計算で124年程。)
 計画としては、明治28年4月1日に平安遷都1100年を記念して京都で開催された第4回内国勧業博覧会の目玉として平安京遷都当時の大内裏の一部(朝堂院)を平安京の頃の残されていた資料を基に復元し、それを博覧会のメインパビリオンとして復元するものでした。そして、博覧会の終了後は「この建物を神社として残し、雅やかな京都を後世まで伝えていこう」という声が多く聞こえて来たという経緯から、今に残る平安神宮が出来たのです。
 また、平安神宮には平安京遷都のおり天皇だった「遷都のおや神様」で第50代桓武天皇が祭神として祀られています。
 ちなみに、設計は伊東忠太・ 木子清敬・佐々木岩次郎の3名によって行われており、社殿は朝堂院を長さ比で約8分の5に縮小して復元したものになっています。また、大きく赤く光る朱色が特徴的な正面の門は、朝堂院の應天門を模していて、さらにその内側の左右の殿舎は朝集堂の再現になっていて、外拝殿は朝堂院の正殿である大極殿を模しています。
 また、2010年12月には、大極殿など6棟が国の重要文化財に指定され、参道の大鳥居は国の登録有形文化財に登録されています。

参考資料

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